エドルネ日記

まち歩き、神社巡り、暗渠、風景写真、バードウォッチング、サイクリング、マッピング、日々のこと(料理、わんこ、etc)

昔の写真の撮影場所はこの辺?~江戸川水閘門編

本日は、2009年10月4日にgooブログへ掲載した記事「昔の写真の撮影場所はこの辺!?その2~江戸川閘門の風景」を、およそ17年の時を経て加筆修正してお届けします。

2009年当時、私は江戸川区郷土資料室でボランティアをしており、古い写真の整理のお手伝いをしていました。その時に見つけたのが、川辺のなんとも興味深いこちらの写真です。


江戸川閘門(年代不詳)※江戸川区郷土資料室提供

船のエレベーターと呼ばれる「水閘門」から下流へ出航する船を、親子3代で見送っているのでしょうか?当時の生活や人間模様が偲ばれる温かい一枚です。
今回は、この写真の「撮影ポイント」を検証した当時の記録を振り返ります。

郷土資料室で「撮影場所は江戸川水閘門ではないか」と伺ったので、サイクリングがてら現地へ写真を撮りに行ってきました。
江戸川閘門の橋部分から、江戸川水門に向けてシャッターをきったのがこちら(↑)です。目印になりそうな継ぎ目があったので、黄色い矢印で示してみました。

今と昔で、ちょうど同じ位置なのではと思われるコンクリートの継ぎ目です。
よく見ると、古い写真の左側にもわずかなカーブがみられ、壁面の模様もここで途切れています。

現在の橋のたもとをアップで撮ってみました。模様の入り方や微妙なカーブなど、昔の写真とじっくり見比べてみます。これは間違いない!

あの古い写真は、まさにここで撮られたものだと確信!嬉しくなって、私も同じ場所に立って記念写真を撮ってみました。

それにしても、あの古い写真はいつ頃撮られたものなのでしょうか。
頬被りなど服装や履物からすると、かなり昔の時代に感じますが、どうなんでしょう。閘門の形や、奥に写っている当時の建物、高い煙突といった風景の中に、年代を特定するヒントが隠されていそうです。
これからも、気長に答えを探してみようと思います。

 

〇撮影ポイントはこちら

 


※この記事は、2009年10月4日のgooブログ記事を一部加筆修正して再アップしたものです。
今後も、ブログサービス終了に伴い消滅した過去の記事に少し手を加えて、順次アップしていく予定です。

 

※ブログ「水路をゆく・第二運河」の「江戸川閘門のディテール(2015.10.31)」にて、当記事を参照くださったと紹介いただきました。

『東京水路をゆく』(イカロス出版)などの素晴らしいご著書でも知られる筆者の「外輪太郎」さんには、水路関連の専門的な視点から、私のブログへいくつかの言及や貴重な示唆をいただいたり、コメントを通して多くのことをご教授いただきました。

当時の温かい交流に心から感謝を込めて、外輪太郎さんのブログ「水路をゆく・第二運河」と、水路の魅力がぎっしり詰まったご著書をあわせてご紹介させていただきます。水路や歴史がお好きな方はぜひご覧になってみてくださいね。

 

 

 

古地図に誘われて、光芒につつまれた「青龍神社」と「怪無池」訪問

青龍神社

古地図で江戸川区内の中井堀から、その水源である小合溜井(葛飾区水元)までたどっていく途中、ちょうど西用水が中井堀に分岐するポイント(高砂6丁目付近)に、ひとつの池を発見!

インターネットで公開されている古地図で、当時の様子を眺めてみました。

東京府南葛飾郡全図(明治38年)※参照:江戸川区立図書館/地図

今昔マップon the web使用

※利用:ひなたGIS

気になって調べてみると、そこには「怪無池(けなしいけ)」という
なんともそそられる名称の池と、そのほとり「青龍神社」が祀られているのを発見!

葛飾区の公式サイトには、以下のような解説がありました。

 〇青龍神社と怪無池(高砂6丁目)  
 青龍神社は、中川の土手のすぐそばにあり、境内には怪無池とよばれる大きな池があります。池の水は枯れることがなく、神聖な池とされていました。  
日照りが続くと池の水を田畑に注いだり、明治時代には雨乞いの行事を行ったりしたと伝えられています。また、池をよごしたり水をかき出そうとすると悪いことが起こるといわれていました。「けがなしいけ」に通じることから「けががない」ようにと、これから戦争に行く人がよくお参りに行きました。
※参照:子ども葛飾区>第5節高砂

 

・・というわけで古地図に呼ばれるようにして出かけて行った「怪無池」と「青龍神社」。
以下の写真は、2024年10月13日に撮影したものです。

 

この日は、低い位置に綿雲が浮かぶ夏のような青空。
ちょっぴり汗ばむ陽気でした。

最後の一枚は、壊れた井戸の手押しポンプ。
柵が張られたその先には中川が流れています。
ちょうど光芒(天使の梯子)が写り込み、なんとも神々しい写真が撮れました。

*****

ここは、ぷちジブリ感ただよう世界。
古地図に描かれている当時の風景がありありと偲ばれます。現在取り組んでいる「水にまつわるフィールドワーク」において、間違いなく聖地のひとつと言える、厳かでどこか懐かしいスポットでした!


※この記事は、2024年10月24日のブログ記事を一部修正して再アップしたものです。
今後も、gooブログのサービス終了に伴い消滅した過去の記事に少し手を加えて、順次アップしていく予定です。

 

江戸川区史掲載の神社70社のマッピング

江戸川区史 第3巻 第2章「神社と寺院」の第1節「神社」(467頁~)に掲載されている神社70社の分布マップを作成してみました。

今回は、街の歴史や地形との関係性を俯瞰して眺められるよう、3つの異なる地図を使って視点を変えながら作成しています。

1. 明治期の地形と神社分布

カシミール3Dで明治42年測図の今昔マップに70社をポイントアップしたもの

 

2. 現代の地形(高低差)と神社分布

神社の分布をひとつの「地理現象」として捉えるために、凸凹が視覚的にわかる「スーパー地形」を重ねてみました。 関東平野は、江戸時代から続く大規模な治水や瀬替えといった開拓、そして近現代の埋め立て工事など、街の発展とともにその姿を大きく変えてきました。 それらを踏まえて改めて地形を俯瞰してみると、かつての人々が水の恵みを求め、同時にその脅威と闘ってきた歴史が深く偲ばれます。

3. 現代のルートマップ


※ 昨年11月にgooブログのサービスが終了し、2007年3月18日から続けてきた「エドルネ日記」も消滅してしまいました。どのブログサービスで再開するか、迷った挙句に休眠状態だったはてなブログとFC2ブログで再開することにしました。FC2とはてなブログ、どちらをメインにするか迷い中です。ふらふらしてすみません(;^_^A(今現在は「はてな」に先行して投稿しています)

とりあえず両方ともに同じ記事をアップしていく予定です。

 どちらでもお好きな方でのぞいてみてくださいね(^_-)-☆

〇はてなブログ「エドルネ日記」:

https://edorune.hatenadiary.com/

 

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遺構探訪「原前橋の親柱」発見!字名「原前」について

「原前橋の親柱」(撮影2025年6月6日)

自転車で通りすがりに見つけた「原前橋」跡。

松江大通り商店街のお店に立ち寄ったときのことです。
道路脇にひっそりと佇む、原前橋の親柱を発見しました!

普段は通らない道ということもあり、ともすれば見落としてしまいそうなポイント。それだけに、視界に入った瞬間はアドレナリンが出まくりました♪

さっそく、「今昔マップ on the web」で過去の姿を確認してみます。

 

〇 昭和11年の地図で見る周辺の様子


左:1936年(昭和11年)の地図 / 右:現在の地図(オープンストリートマップ)

大きな地図で見る
※利用サイト:「今昔マップ on the web」

1936年の地図を見ると、はっきりと水路と橋の存在が確認できます。
さらに、画面左上のプルダウンメニューを切り替えて年代順に追ってみると、1945〜1950年の地図(航空写真)までは川が写っていますが、1961〜1964年のデータでは暗渠になっていることが分かります。

 

〇 明治13年〜明治22年頃(明治期)のルーツ
続いて、迅速測図と現在の地図を並べて比較できる「ひなたGIS」でも調べてみました。

大きな地図で見る

左:関東迅速測図(1880年代) / 右:現在の地図(オープンストリートマップ)

※利用サイト:「ひなたGIS

 

明治期の迅速測図の時代にも、すでに原前橋が架かっていたであろう川(水路)筋がしっかりと確認できました。今井街道(旧行徳道)沿いは古くから、人や物の行きかう歴史を刻んできた場所、興味が尽きません。

 

〇 ところで「原前」の由来って?

古地図を眺めているうちに、もう一つ気になることが出てきました。そもそも「原前」という名前はどこから来たのでしょう?

Googleマップで暗渠となった川筋を北側へたどっていくと、その先にある道の表記が「原桜通り」となっています。

原前橋の北側にある暗渠なのに「原桜」……? 「もしかして、原前通りの間違いでは?」と、一瞬Google先生を疑ってしまいました(笑)

そこで、江戸川区の通り名について詳しく調べてみることに。

〇「江戸川区道路愛称マップ」を発見!

調べていくうちに、今後の遺構巡りにも大活躍しそうな資料を見つけました。江戸川区が発行している「江戸川区道路愛称マップ」です。 

 

(参考:江戸川区道路愛称マップ(PDF))

こちらのパンフレットを確認してみると、なんと15番にしっかり「原桜通り」の名称が載っていました。Google先生、疑ってすみませんでした!公式の愛称だったのですね。

〇 昔の字名(あざめい)を紐解いてみる

「原桜」の謎は解けましたが、では昔このあたりは「原」だったのか、それとも「原前」だったのか、当時の字名がさらに気になってきます。

そこで、『江戸川区史 第一巻(922頁)』を開いてみました。

江戸川区史 第一巻(922頁)

区史によると、この頁には明治22年前後の小字(こあざ)名が記載されており、その中には江戸時代の文化・文政期に編纂された『新編武蔵風土記稿』に由来する地名(※印付き)も含まれています。

これらをじっくり探してみたところ、「原」という一文字の小字は見つかりませんでした。

その代わり、原前橋の由来となったであろう「原前」という字名は、すでに江戸時代の文化・文政期には存在していたことが分かりました。

「原っぱに分け入る」という意味ではなく、「広大な原っぱの一隅(手前)にある集落」という意味を込めて付けられた名前なのかな……などと、当時の風景に思いを馳せてみたり。

偶然見つけた一本の親柱から、江戸時代まで一気に歴史を遡ることのできた、大満足の自転車散歩になりました。

 

「備忘録」から「エドルネ日記」へ。ブログ名をもとに戻して再出発!

AIによる概略「エドルネ日記」

ブログを再スタートして2週間近くが経ちますが、アクセス数の少なさに少しびっくりしています。記事の投稿をSNSでお知らせしてもアクセス数は20に満たず、更新しない日はゼロになることも……。「これではブログを公開している意味があるのだろうか」と、ふと自問自答してしまいました。

そこで、以前のブログにはそれなりのアクセスがあったことを思い出し、慣れ親しんだ名前を引き継ぐことにしました。

〇 旧ブログ名:「エドルネ日記」
〇 現ブログ名:「備忘録」 ⇒ 「エドルネ日記」に変更します!

ところで、上記スクリーンショットは、Googleで「エドルネ日記」と検索した際にトップに表示された「AIによる概要」です。私の旧ブログの歴史やテーマを、AIがこんな風に詳しくまとめてくれていました。思えば、ブログ開始から閉鎖までの18年間。更新頻度こそ高くはなかったものの、多くの方に喜んでいただけた記事がいくつもあったのだなと、改めて感慨深く振り返っています。

ちなみにこの「エドルネ」という名前ですが、もともとは「川サミット」(※)での発表に向けてブログを開設した際、当時のグループ名「江戸川ルネサンス」をもじって名付けたものでした。

どちらのブログも、筆者は同じ私です。これからは原点に立ち返り、この愛着あるブログ名で続けてまいります。試行錯誤しながら「私の面白い!」を綴ってまいります。今後ともよろしくお願いします。

 

※「川サミット」についての関連ブログは以下

edorune.hatenadiary.com

氷川神社・香取神社・久伊豆神社、関東地方に偏在する三社マップ

〇地図を眺める楽しみ、作る楽しみを知った出来事

私の「電子地図」での取り組みの出発点についてお話します。

そもそものきっかけは、2007年にさかのぼります。大人の学びの場として開設された「江戸川総合人生大学」に通っていた頃、区の職員の方から「『第16回全国川サミットin荒川』で発表してみませんか?」とお誘いを受けたことが始まりでした。

テーマ探しに悩みながら、「荒川に関連する何か、私たちの生活に関わるよもやま話はないか……」と漠然と考えていたとき、たまたま放送大学のテレビ解説が目に飛び込んできました。そこでは、「氷川神社が荒川周辺に多く建立されており、水の脅威に対する守り神としての存在であった」という内容が語られていたのです。

「これだ!」と直感した私は資料を探し、西角井正慶著『古代祭祀と文学』という運命の一冊に出会いました。

全国川サミットin荒川 発表PDF5頁

2007年開催の「全国川サミットin荒川」では、この出会いを経て作成したテーマの概念図をもとに発表を行いました。当時の具体的な取り組みと発表内容は、以下のリンクからご覧いただけます。

・[PDF] 070426 全国川サミットin荒川 企画書

2年間の学びの成果を川サミットへ:ICT利活用でつなぐ地域発信の輪

https://www7b.biglobe.ne.jp/~map/page/070426kikkusyo.pdf

・[PDF] 071027 全国川サミットin荒川 発表資料

「荒川の守り神 氷川神社を巡って~先人たちに学ぶ 川の脅威とその恵み」

https://www7b.biglobe.ne.jp/~map/071207/071027_ARAKAWAsummit.pdf

 

〇衝撃を受けた「三社の分布図」

さて、当時私が大きな衝撃を受けた『古代祭祀と文学』135頁掲載の「氷川神社・久伊豆神社・香取神社分布図」がこちらです。

古代祭祀と文学(西角井正慶著)135頁

この分布、すごくないですか!

『古代祭祀と文学』(P132~140)によると、

氷川神社:荒川の沿川

香取神社:利根川の沿川

久伊豆神社:元荒川の沿川

それぞれの神社は特定の河川流域に卓越して分布しており、こういった分布状態は極めて珍しいと記されています。(以下『古代祭祀と文学』(P132より引用)

(甲の)氷川神社の地域、(乙の)香取神社の地域が地図上で明らかに色分け出来るのは全国的に見て、珍しい分布状態と言わざるを得ない。更に吾々が興味を覚えるのは、(丙の)久伊豆神社を持つ村落が、あたかも甲・乙の中間地帯を形成していることである。」

〇 マイマップ作成

本の中のこの図を見た時「これは絶対、ズームもパンも自由自在の電子地図にのせて見てみたい!」という衝動に駆られました。しかし、同書には各ポイントごとの詳細な緯度経度データまでは掲載されていません。そこで公開されている様々なデータをもとに、私がプロットして作成したのが以下のマップです。

※2007年の「全国川サミットin荒川」発表時は、氷川神社のみを「電子国土」にプロットしていましたが、こちらはその進化形となる「三社マップ」となります。

〇【統合版】氷川神社・香取神社・久伊豆神社マップ

実は以前ネットで様々な方にご教授いただきながら「Google Maps API」を使って作成・公開していたのですが、Googleのサービス仕様変更に伴い見られなくなってしまっていました。今回はそのデータを元に、改めて「Googleマイマップ」で同様の地図を再現しました。

それぞれの神社ごとの個別分布地図は、以下からご覧いただけます。

〇氷川神社

 

〇香取神社

〇久伊豆神社

専門家ではない一人の個人ではありますが、だからこそ、この貴重な地理的・歴史的データを「ちゃんとした形で、誰もがアクセスできるオープンデータとして公開したい」という強い思いがあります。

技術的な専門教育を受けたわけではないので、大きな風呂敷を広げるのは少し気後れもしますが、まずは第一歩として、ここにアップいたします。

データ作成については、使いやすく汎用性のあるものにするために、やることが多そうです。ポイントごとの平仄を合わせるなどの技術面はもちろんですが、これからも「川と人の歴史」そのものを少しずつ学んでいきたいと思っております。

どうぞよろしくお願いします。

 

引用文献:「古代祭祀と文学」西角井正慶著 中央公論社 昭和53年発行

 

都市鳥、癒しのジオ空間マップ

我が家の軒下、巣立ち前日(2013/06/17撮影)

人生いろいろ。

我が家にツバメが巣を作った2011年から2019年までの間、

私は「ツバメの大家」という、東京暮らしではなかなか味わえない

貴重な経験をしました。

 

我が家での子育てを写真や動画で記録するうちに、

それまで関心のなかったバードウォッチングの魅力にも目覚めていきました。

水辺をサイクリングしながら撮影した鳥たちの写真をマップにまとめたのが、

この「都市鳥、癒しのジオ空間マップ」です。(文末掲載)

ツバメの大家を経験したことで、鳥たちの鳴き声ひとつにも大切な意味があり、

そこには積み上げられてきた「生存戦略」があるのだと知りました。

そんな新たな視点で眺めた、水辺の風景の一コマを載せています。
 

旧中川沿い(江戸川区平井)のメジロ(2016/03/08撮影)

 

旧江戸川河川敷(篠崎ポニーランド付近)のヒドリガモ(2014/01/14撮影

旧江戸川の左岸土手、東京スカイツリーと船堀タワーが重なるポイント
ユリカモメ(2013年10月撮影)

一之江ひだまり公園のツバメ(2013/04/29撮影)

荒川土手・大島小松川公園付近のツバメ(2013/04/13撮影)

荒川河川敷、都営新宿線 荒川中川橋梁と首都高速中央環状線をバックに
シジュウカラ(2013/03/15撮影)

時代とともに、生き物たちを取り巻く環境も変化し続けています。

だからこそ、記録を撮り続けることに何か意味を見出せたら、と思っています。

ここ最近はいろいろあって活動を休止していましたが、

また少しずつ、マップのポイントを増やしていく予定です!